MY CHALLENGE MY LIFE!

社長列伝
原動力は——進学を断念したコンプレックスとプラス発想

トータル・サービス
山口恭一

やまぐちきょういち
昭和30年、福島県生まれ。仙台一高卒後2年間浪人生活。進学を断念し、レジャー会員権の販売に携わる。1年後課長に昇進。4年後独立。

つかみどころのない社名のなかに

情報化時代だという。情報産業と称するものがもてはやされ、情報ネットワークやらINSやらと、新しい言葉が次々に誕生してきている。
だが、その情報とは何か。明確な定義なしに言葉だけが独り歩きしているという気がしないでもない。もっとも単純に定義づけるにしては範囲が広すぎるし、あいまいだからこそ無限の可能性が感じられる。だから流行語になる、といった面がないでもない。一般に流行語は具体的な事実より感性に訴えて広がるケースがほとんどだからだ。
しかし、流行語が生まれるにはそれを生み出す社会的な背景があり、その背景をつかむことが新しいビジネスに結びつく。流行語を浮かれてつかうのではなく、背景を見抜く目をもった者がビジネス社会の勝者たり得る。
トータル・サービスの山口恭一はそんな勝者たり得る素質を持った若いリーダーと見てよさそうだ。トータル・サービスという社名そのものは“情報化時代”と同じようにつかみどころがない。だが山口恭一はそのなかにきわめて具体的なイメージを描き出してみせる。
たとえばこんな具合だ、山口恭一の事業はそもそもが店舗やハウスのクリーニングである。そのクリーニングを広域化するべくフランチャイズチェーンシステムを導入した。ハウスクリーニングの機具やノウハウをチェーンを通じて流すのだ。特殊なクリーニング機器のレンタル業務も行っている。
ここまでの業態なら社名の“トータル”はいささかオーバーであろう。だが、さらに先があって、クリーニング業を通じて家庭に入り込み、そこから情報を吸い上げる。客のニーズをつかみ、それを必要とする業界にフィードバックしていく。逆に引っ越し業から情報を得て、引っ越しと同時にハウスクリーニングを行うなどという提携も実施する。
つまり、客とほかの業界との接点となり互いに情報を交換して事業を増やしていこうとしていて、まさにトータル・サービスであり、情報産業そのものといっていい。
「客の管理を本部で行う。ここで得た情報をつかい、事業の手を広げて行く。そういうシステムを完成するのが当面の目標になっています。2年ぐらいでできると思いますよ」
もう少し具体的にシステムの内容を見てみよう。たとえば地方のスーパーマーケットと提携したとする。山口恭一はスーパーに店のクリーニングのノウハウを提供する。スーパーはコストの安いクリーニングが可能となるが、さらにスーパーを通じて一般客のクリーニング需要を開拓することもできるだろう。その客の要求をスーパーにフィードバックすると、新しい商品を開発することもできるし、場合によってはカタログ販売などを行う道も開けそうだ。
ハウスクリーニングをテコに、情報ネットワークを築き上げる。時代のニーズを的確につかんでいて、山口恭一の描き出すトータル・サービスは、これからが本番だ。
しかし、その本番前の現在の業態だってかなりのものである。グループの年商が約15億円。本社の売り上げだけでも3億5000万円に達している。現場をおさえている利益率の高い企業だから、この数字のもつ重みはたいへんなものだ。
山口恭一がハウスクリーニングを開業したのは5年前である。
「先輩に汚れもの商売はスタれない、といわれたのが、この商売を始めるきっかけでした」
その前はレジャー会員権のセールスをやっていた。さらにその前は——いうなれば大学入試の落ちこぼれでしかなかった。

無言の圧力に踏んぎりをつけて

昭和30年生まれ。30歳になったばかりである。出身地は福島。父は東大卒のエリート検事だった。山口恭一の少年時代の軌跡は、この父に対する反発がすべてだったのではあるまいか。
「福島から仙台一高に進学しました。福島の学校がいやだったというより、家から逃げ出し、下宿生活がしてみたかったんです」
この下宿生活のなかで遊びを覚える。まず酒だ。マージャンも覚えた。一方で勉強をしなければ、という心がありながら、勉強した結果としてコースにのっていく人生にどんな意味があるのか、と反発する。大きな心理的な振れのなかで、結果として易きにつくのが人間というものだろう。
「夏季講習を受ける、といって親から金を出してもらい、東京に出て遊んだりもしましたな」
高校を出て2年間の浪人生活。上京して予備校に通うことになったが、結局は勉強らしい勉強はまったくしなくなっていた。志望校は東大、でも本人自身が受かる見込みがないと思い込んでいて、父に従ってエリートコースを歩むべしという無言の圧力との戦いが続く。
経済的には仕送りがあって、あり余った時間を大学に行っている友人たちとのコンパに出たり、合ハイに参加したり、無為に過ごしていた。だが、そういう日々がいつまでも続くわけもない。どこかで踏んぎりをつけざるを得ない。
「大学にいかなかったら死ぬ、というわけじゃないですからね」
進学を断念したことが、山口恭一の父離れの第一歩だったのではあるまいか。この時から積極的な生きざまが始まる。大学にいかなければ死ぬわけでもない、といいながらも、進学を断念したコンプレックスがあって、自らの生きざまでコンプレックスをはねのけようとした。がむしゃらに働いた。
「求人広告を見て“営業企画”募集というのに応じたんです。デスクワークではなく

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