経営者会報 95年4月号

社長の神様
話題起業の社長にみる苦しいときの心の拠り所

経済ジャーナリスト
中村 芳平

社長は孤独であるといわれる。右するか左するか、進むか退くか、最終決断は常に自分1人で行なわなければならない。その孤独な作業や困難にぶつかったとき、社長は一体どこに心の拠り所を求めるのか。何を神様として、やすらぎを求めているのか——。
3人の経営者の体験談に、苦しいときの心の拠り所、心の支えを探ってみる。

若き企業家の闘志をたぎらせる「自由の女神」

山口 恭一
トータルサービス社長

米国の機械システムを使った大型のクリーンビジネスを日本に導入し、成功した株式会社トータルサービス(本社東京都新宿区、資本金3000万円、本社社員55名・グループ技術者210名、年商50億円)の山口恭一社長(39歳)は、経営の精神的バックボーンについてこう話す。
「会社を起こすとき、私が手本にしたのは先輩経営者の実践事例でした。時代背景や年齢、業種業態、会社の規模などは関係なく、成功した先輩経営者からさまざまなことを学びました。事例に謙虚に学ぶことが、経営の座標軸になっています」

アメリカに手本を見る

山口恭一は福島県生まれ。東大出身のエリート弁護士を父にもつ。父の進んだコースと同じ名門進学校・仙台一高を経て2浪して3度まで東大を受験するが失敗。一転して経営者の道を志す。
やがて彼はレジャー会員権販売会社に就職する。先輩経営者から、「経営者には営業タイプと技術タイプの2種類がある」と指摘され、「自分は営業タイプ」と判断して、営業ノウハウを学ぶつもりで就職したのだ。
朝8時から夜は11時くらいまで働きづめに働く会社だった。その代わり学歴関係なしの徹底した実力主義である。山口恭一はここで人生観が変わるほど鍛えられる。
山口恭一は頭の回転も速く、弁舌さわやか。入社後すぐに頭角を現わしトップ営業マンとなった。入社後10か月で課長代理、1年で課長に昇進し、平均年齢30数歳の営業チームを率いた。年収は軽く1000万円を超えた。企業家としての素地はこの時代に育まれたといえよう。
彼は昭和55年、「汚れる仕事はすたれない」との信念で、主に店舗の出張クリーニング事業を行なう「山口商会」を創業する。学生2人がスタッフだった。時に24歳のことである。
昭和57年、資本金200万円でトータルサービスを設立。一般家庭市場に参入するとともに代理店募集を開始する。社業は順調に発展した。
企業家として最大の転機となったのは、クリーンビジネスとフランチャイズ(FC)ビジネスのルーツを訪ねて米国へ半年近く市場調査の旅に出たときのことである。昭和59年のことだ。
「それまで先輩経営者の実践事例を最大のお手本にしていたわけですが、米国へ行ってわかったことは先輩経営者のお手本になっていたのは実は米国だった、ということです。米国には鉄鋼、自動車、金融、流通、外食産業などありとあらゆる分野で日本のビジネスの原点がありました。なんだ、ほんとの神様はここにいたのか、というのが率直な印象でしたね」
山口恭一にとって米国はきわめて刺激的な国だった。19歳のとき、丸の内のオフィスビル街を見て刺激を受け、「自分も何かをやらなければ」と思ったときとはまた違った強い衝撃を受けた。
たとえば、フロリダのテーマパーク建設計画。もともと湿地帯を開拓してテーマパークをつくるという発想も壮大だが、現在計画から20数年も経つのに、工事の進行状況はまだ3分の1にすぎない。それほどの超長期計画で物事を進める米国人の粘り強さと開拓者精神には驚かざるを得なかった。
山口恭一はこの旅で米国の偉大さを学ぶとともに、米国からクリーンビジネスを導入したいと考える。
夢が実現するのは、それから5年後の平成元年秋のことだった。米国の外壁クリーニング業界最大手スパークル・インターナショナル社と業務提携し、アジアでのマスターライセンスを取得、オフィスビルや工場、高速道路などの外装材保護・美観維持、建造物の老朽化防止を目的にした大型の外装クリーニング事業をスタートする。
これを皮切りに建造物外装の特殊メンテナンス事業、天井・内壁のクリーニング・カラーコーティング事業、ブラインドや換気扇などの汚れをきれいにする超音波洗浄機の導入、さらに建造物内外装の金属部分の再生とメンテナンスを行なう事業を導入した。それぞれライセンスを取得し、日本全国にフランチャイズ展開を行なっている。
いまや山口恭一の率いるトータルサービスは店頭公開を目指すまでに成長しているのだ。

俺がやらずに誰がやる

山口恭一がこんなエピソードを披露する。
「もう何度も渡米し、米国に先輩経営者や友人などの知り合いがたくさんできました。米国人は自分のルーツを大切にしています。親しくしているおじいちゃんは、ヨーロッパからの移民です。ひいおじいちゃんに連れられて子供のころ米国へ来た人です。移民はマンハッタン島の向かいにある移民局で登録し、そこから各地に散っていくのですが、そのおじいちゃんはいまでも『自由の女神』像を見ると、遠い移民時代の苦労を思い出して涙が出るそうです。実際、自由の女神には感動しますね。夕刻、ヘリコプターに乗ってマンハッタン島を一周すると摩天楼の超高層ビル群が見え、やがて真っ暗闇の中に女神の灯が見えてくる。移民で苦労し

山口恭一社長