Weekly Themis 1990.6.6

Themis New Business ビッグマネーを掴め

トータルサービス
ひとりで始めた掃除代理業が全国展開に。年商30億円!

プロの掃除人を派遣

最近、「プロの腕前」を家庭に提供する商売が増えてきた。ハウスクリーニングと呼ばれるプロの掃除人もそのひとつ。
「トータルサービス」はこの業界の先駆的な企業。山口恭一社長(35歳)は15年前に掃除機ひとつでクリーニング業を開業。大型掃除機からブラシまでを駆使し、床や壁、天井、主婦の苦手とする換気扇やレンジ回りなどを徹底的にリメークするノウハウが評判となり、店舗や引っ越し時の大掃除、高齢者家庭や働く主婦の需要を吸収して事業を拡大、トップ企業に成長した。

東大を諦めて社長に

山口恭一さんの転機は、大学受験に失敗し2浪したとき。翌春に短大を卒業する同じ年のガールフレンドの「これからどうするの」のひと言に、初めて取り残された気分を味わい、将来を真剣に考えた。
ある日、焼き鳥屋で友人と飲んでいると、女主人が傍らの男を「社長さん」と呼んだ。水商売の常套語だが、若い山口恭一さんにはショックだった。「こんなおじさんでも社長になれるのなら俺も」と決意を固めた。
進学を諦め「社長」を目指し、まずレジャー会員権の飛び込みセールスマンとなった。売り上げさえあれば、年数に関係なく収入も上がるし、地位も評価される実力世界だ。
「営業力を養うためです。飛び込みは営業の原点。面識もない客を短時間で説得するからです」
早朝から深夜まで歩き回り、閉店間際の銭湯に飛び込む毎日だった。しかし、初めの3カ月間はまったく売れなかった。
「田舎に帰ろう」と迷っては「社長になるまでは」と思い直す日々が続いた。4カ月目に初売り上げ、1年後に年収1千万円、部下10人となった。若くして高給を得て、毎晩飲み歩いた。これでは初心を見失う、と4年半で辞めた。

汚れる仕事に福あり

飛び込みセールスの体験で、売ることには自信がついた。あとは何を売るかだ。模索していると、「汚れる仕事はすたれない」という先輩の言葉にピンときた。
昭和55年、24歳でクリーニング業「山口商会」を設立。大手が参入する高層ビルを避け、未開拓の小店舗に的を絞った。貯金170万円と親に借りた100万円を資金に器具を購入。事務所は自宅、従業員はアルバイトの学生2人だけ。
チラシを作り、商店街の端から、酒屋やパチンコ店、居酒屋、理髪店と次々に飛び込んだ。もちろん会員権セールスの経験が生きた。店舗の掃除は従業員や店の家族がするもの、わざわざ外注するまでもない、と断る経営者が多く、山口さんは「なぜ掃除を外注しては駄目なのか」と説得し続けた。
「売るノウハウはない。ただ歩くだけ。1日10万円売らないと帰らない、という目標を決めました」
大晦日に帰宅すると、紅白歌合戦が終わっていた、元日はどの店も閉めていたので休んだが、2日からセールスに出掛けた、という猛烈な仕事ぶりだ。おかげで年間契約や、定期的な仕事がきて、月商が1千万円を超えてきた。次にハウスクリーニングやウッドクリーニングにも進出していった。
ウッドクリーニングは神社仏閣や旅館などの木造建築を専門とするクリーニング。昔から「アク洗い」と呼ばれ、専門の職人がいたが、最近はなり手がない。そこに目を付けた。3種類の洗剤を使用して、日焼けや汚れ、かび、雨じみなどを化学的に分解し、木質を傷つけずに洗浄する方法を開発した。まだまだ木造は多い。市場規模も500億円を超える事業だ。

米国の大手とも提携

労働力不足と全国展開を考えて代理店を募集した。代理店には機械類や洗剤を供給した。労働力を売る事業に、物販を加えた。代理店は全国で200店近くになった。
さらに、これまで蓄積したノウハウを売るフランチャイズを始めた。ブランドを統一、価格設定や売り方、クリーニング方法、社員のユニホームや教育までをパッケージ。しかし代理店の反対にあい、200店で残ったのは20店だけ。
一から出直した。加盟希望者に必ず会い、人となりを見た。「儲かりますか」と聞く人には、「私の方針についてきてくれますか」といい切った。大手企業や地方企業との提携も多く、そのときも直接、担当者と会った。この結果、FC加盟は現在、250店を超え、脱退者も極めて少ない。
いま山口恭一さんが力を入れているのが、外壁クリーニング。米国の大手と提携、FCも展開中だ。
ひとりから始めた掃除代理業が全国的なビジネスへ成長したのだ。

●ビジネス・データ
本社・東京都新宿区
社長・山口恭一
社員数25人
資本金680万円
グループ年商30億円
店舗や個人住宅のクリーニング業の大手

長谷川嘉彦/ライター

掃除ビジネスのノウハウを売り、全国展開を推し進める山口恭一社長